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たまに同じ学校の同じ科の人がやってたブログとかをみるんだが、なんだかすごく違う感じがする。

3年前に今私がやってるのと同じ課題をやってる、しかもタメの人は何をあんなに読み取っているんだろう。
日常から何故あんなに高尚な理論を導けるんだろう。

以前sgsgちゃんと話した時にハッキリした事ですが、私にとってデザインはただのビジネスパートナーだ。
私はデザインに人生をかけたい訳じゃないしデザインの為に人生を注ぎ込みたい訳じゃない。
ただ自分の人生の中にあるデザインという一つの領域のものを、できる範囲で極めていけたら楽しいと思う。

…甘い?

甘いの?

そもそも私がこっちの道を目指したのは、OLとか誰でもできるような仕事を飯の為に嫌々やるよりは、向上したり自分のオリジナリティなんかを求められる仕事のほうがやりがいがあって人生楽しそうだな…と、そういう打算があったわけですが。
そういう意味では、恋みたいな純粋な動機の上に成り立ってるわけじゃねぇんだな私のデザインは。
それは甘いのか?別に世界に名だたる有名デザイナーになりたいわけじゃねぇしって言ったらなんか拗ねてるかんじするね。

私が求めてるのは今のところ、平均的なそういう教養と知識と経験と、肩書きだ。
心の奥で何かを否定しながら、一歩引いたところから一流になろうとするのは多分甘いんだろうね、甘いね恐らく。

でも、私は真実にさわれない気がする。
何か本質的なことをわかった振りをしながら心の中では何ひとつ掴めない人間な気がする。
手を伸ばすすべてが霧のようにぼんやりしていて手ごたえがない。
多分一生その地面に確信をもって足を踏みしめる事はできずに恐る恐る爪先でつついてみるだけなんだろう。

私が興味なくてめんどくさがって登るのをやめた階段を必死で登ってる人を羨ましいとはそんなに思わなくて、ただすげーなーとぼんやり思うだけなのですが、そこに何か人種のような壁を感じる。
壁の向こう側に行きたいわけではない。ただ、やっぱり違うんだなーという妙な違和感に納得する。


つまり100ドロやっても私は何ひとつ自分のそういう分野に対する確証を持てない気がするぞ。
その答えを積極的に探っていこうとする情熱がない。それが動力が恋か打算かの違いかもね。
打算を積み重ねてのんべんだらりと生きていくのは、しかし私の理想に近いかもしれない。
肩書きを傘に、澱んだ俗物になりたい。

100枚描いて自分の線に関するデザイン的で高尚な考えが深まるよりも、自分のお絵かきの一発の線の精度が上がるほうが私うれしい気がする。
要は、純粋なおえかきという欲求のぬるま湯の中で自分の心を培養していたい。
それが生きる目的でも今は構わない。

昔に比べて大分生きる意味が曖昧になったのは、中二病を脱して知ったような口利かなくなったからか、大事なものが増えて目移りするようになったからか。
眼が澄んだからか、それとも濁ったからか。
愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ。



とりあえず豆腐ハンバーグうまかったからどうでもいいか。



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