今ならあの時テンパって涙ぐんだYちゃんの気持ちがわかる気がする。 しかし所詮人間の小さな脳味噌で想像できる未来なんて高が知れてるんだし、気に病んだ所で解決する問題なんてそう多くない。 いっそなるようにしかならないと達観するというか、開き直る態度も必要だと思うのです。(沼T氏は達観しすぎだけどな!) わかっては、いるんだけどね。 痛いのが嫌だから最低を予測するようにしたとしても、それが上手く出来ないとき。 予測不可能な未来を抱えてしまうとその解決法は考えることを諦める以外にない。 でも頭のどこかでいつも不安が囁く。 しかもそのリスクの原因や責任が全く自分に在るとき、責められるのは自分しかいない。 んー。どんどん沼に嵌ってく気がするぞ。 何があったって死ぬよりマシだろ。っていう一種の励ましが、どこまで、いつまで許されるのか。 楽観するプラス思考といえばそうだけど、甘えだといえばそれまでだ。 勿論完璧な人生なんて送れる人間はいないけど、自分への甘えをどれくらい許してもいいの? それを良いよと認めてくれる誰かがほしいならそれこそ甘えだし、そもそも独善的な考えの私は自分以外の誰か他人に自分を委ねる方法なんて認めたくない。 真面目に生きることに嫌気が差して、適当な、よく言えば融通の利く生き方になったけど、横柄と大胆は紙一重であって、誠実さを失っていく自分が時々殺したいくらい憎い。 正しいと悪いの普遍的な基準なんてないし、それは各個人に委ねられているっていう考え方の方が私は好きだ。 でもその分判断したあとの不安や後悔や背負うべき責任が痛い。 なんだっけ。まず責任ありきでそれに自由が付随してくるんだっけ。 全ての物事には必然的になんらかの責任が伴うから、それゆえに自由だと考えれば楽になるのか。や、そうでもない気がするぞ。 どうでもいいことばかりのたまってないでなにか片付けてしまいたいと思うのですが、何からしたらいいんだろう。 いつもそこでつっかかって、悩んでも仕方がないのでとりあえず終わりが見えそうなものからやろうとするのですが想像以上の時間を取られ、寧ろそれって必要なの?という根本的な問題に立ち返ってしまう。 無駄を省いたところで捻出した時間全てに最高のパフォーマンスで望めるわけではないし、じゃあ休憩するにしてもどれくらい休めばいいの? 自分にとって何が一番大切なのかが分からなくなってる。 Copyright © [ 血と油で煮詰めたスープ ] All Rights Reserved. http://bloodandoil.blog.shinobi.jp/ PR 忍者ブログ[PR]
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